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摩耶だより(各集巻頭句) 
2017年月号      岡部 榮一 

 ほどほどに生きて揺さぶる五月の木    石田 剛

 
 ひとつの人生観である。ほとほとに生きてとはいい加減に生きてと言うことではない。望みや夢は大きいことに越したことはないが自分を知れば知るほど身の丈が一番いいのである。出世欲や物欲が深ければ達成した喜びも大きそうであるが見る暗闇も深くなる。作者にとってすべてにほどほどが気軽で自分らしく身の丈に合った生き方であったのであろう。
主観の濃い内容であるが重たさを感じさせない句である。重たさを感じさせないのは五月の木だからである。芽生えた木が一斉に薄黄緑の葉を太陽に開き輝くからである。すべてが始まるような明るさを感じさせるからである。ほどほどに生きて揺さぶるのは少しの後悔と後ろめたさを秘めながら安堵の人生であったと思うからである。ふと、宮沢賢治の世界を思い出した。




 スズメノテッポウには始めから負戦    石川 暘子
                           
  スズメノテッポウは春の水田に生えるイネ科の代表的な雑草、特に害にはならないがさりとて役にたつものでもない。名前の由来は春の時期に出るまっすぐな穂を鉄砲に見立てたものである。北海道から九州の平地に分布するありふれた雑草である。他にスズメノ枕やスズメノ槍の名もある。草笛にもなる。休耕田であろうか穂の鉄砲を立ててびっしりと生えていそうである。 さて、十音・五音・五音の長い句である。俳句の基本の五・七・五からは遠いものである。どちらかと言えば山頭火の一詩に近い。長いと言えば虚子の句の去来の墓の二十五音の句があるが、山頭火にしても虚子の句にしても真似をしないほうが賢明である。

 

 タンカーの長き航跡風光る       多武 静也 
                      
 明石海峡である。船の航行は海峡を見下ろす作者の住む町の日常である。もちろん明石海峡大橋も目の前である。大型のタンカーはゆっくりと海峡を行きすぎる。一瞬時間が止まったような錯覚をも覚えることがある。航跡はかなり長い時間広がりながら残る。五月の海は明るい風も光るのである。




 白藤や人待ち顔の椅子暮れる      上ノ堀 ミツヨ
                         
 園の藤棚の下の椅子であろうか。作者は絵をかくのを趣味としている。白藤が綺麗に咲いてスケッチに何日か通っているのであろう。それと同じく白藤を見に来る老婦人がいたのであろう。スケッチも恰好がついて終わりになる日、いつもの老婦人が来ないのが気になったのである。老人は腰掛けて暫くは物思いにふけっているようでもあり、単に休んでいるようでもあるが何時も同じような時間に来てはその椅子に座るのであろう。日暮れの椅子は人待ち顔に見えて行きずりに似た縁であっても淋しい気がしたのである。人待ち顔の椅子が印象的である。



 にやにやと空のまん中いかのぼり     熊田 久美    
        
 いかのぼりは凧のこと。中国らか渡来した江戸期の頃は江戸や大坂では正月の遊びとして伝えられている。呼び方も京阪神では「いか」、長崎では「はた」とさまざまである。ところによっては初凧を端午の節句に揚げる風習があり、盆の行事とするところもあるようだ。凧合戦もあるようだ。また、縦一五メートル横十一メートルの大凧をあげる地方もあるようである。いずれにしても五月の節句に揚げる地方が多いようである。
  にやにやは誰かの顔の凧であろうか、それとも飛ぶ様子がなんとなくにやにやした感じなのであろうか。にやにやとは面白い捉え方である。


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