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摩耶だより(各集巻頭句) 

2018年12月号      岡部 榮一 

 涼新た家族でのぞく虫笑      中山 妙子

 
 虫笑いとは生まれてから生後三~四週間に起こる赤ん坊の生理的微笑をいう。生理的微笑は新生児期に現れる特徴的な微笑で無意識のうちに現れるもので筋肉反射や生理的現象でうれしくて笑っているわけではないようである。日本では古くから「神笑い」「仏笑い」などともいわれていたようである。虫笑い=お腹の中の虫がくすぐる。神笑い=神様が笑わせている、神様を見て笑っている。仏笑い=仏様が笑わせている、仏様をみて笑っているなどと捉えられていたようである。いずれにしても縁起の良いネーミングで赤ん坊がすくすくと無事に育ってくれることを望んでのことであろう。西洋ではエンジェル・スマイルとも呼ばれているようである。
 生まれた子を家族が見守るのは楽しいものである。ニコリともすればなおさらであろう。まさに新涼感そのものである。




 背泳ぎの雲の峰へと迷い込む    河合 彰
                           
  富山湾の海水浴場は雨晴海岸やヒスイ海岸などがある。孫を連れて夏に何度かはお供する海水浴であろう。背泳ぎで雲の峰へと迷い込む感じは浜辺から少し離れて泳いでいないと味わえない感覚で人の多いプールでは先ず無理である。背泳ぎの顔を少し沈めて耳を海水に漬けると海岸の雑多な音が消えて海の音だけが聞こえる。すなわち一人の世界に浸れるのである。そして目はあくまでも雲の峰に注がれている。句の景はそんな状況であろう。雲の峰へ迷い込むのが面白い把握である。  
背泳ぎ「の」は「が」を避けた使い方である。

 

 レイテにての薄れゆく文字墓洗ふ       松本 敏江 
                      
 レイテはフィリピンの島、太平洋戦争末期の日米の激戦地である。戦死の報と共にもたらされた遺骨には石などが入っていたと聞いたことがある。いまだに収集されていない遺骨も数多くあるという。戦後に墓を建てたとしても七十年は過ぎている。まして戦中であれば十分な墓碑は建てられなかったであろうと思う。刻んだ実際の文字より薄れてゆく心の文字である。


 小鳥来るサナトリウムの金盥       宮本 義之
                         
 郊外、林間、海浜、高原などに設けられた結核などの療養所である。綺麗な空気と日光を利用し病状を回復させる施設である。サナトリウムと言われ出したのは何時のころかよく知らないが昭和四十年代はまだ療養所が一般的であった。木造の平屋の長屋のような病室が廊下で繋がれていたものである。言えば隔離することも一つの目的であった時代の産物である。金盥は共同で使っていた頃の洗面所の洗面器であろう。もはや遺物である。医療の環境の進歩は驚くほど速いのである。



 八月を重荷のごとく降ろしけり       松本 丘    
        
 六日、九日、十五日とお盆とこの国の八月は重たい。繰り返される追悼は戦後七十年を経ても変わることがない。隣国も我々が誠意をもって償ってきたことを自己の政治の利益のために認めようとはしない。八月の重荷から逃れるすべはないのだろうか。


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