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摩耶だより(各集巻頭句) 

2019年2月号      岡部 榮一 

 枇杷の花遠い町から現われる     進藤 三千代

 
 遠い町から現れるのは枇杷の花ではない。遠い街から現れるのはまぼろしであり既視感なのである。そして遠い町は行ったことも住んだこともないが懐かしい故郷でもある。永遠に流れるであろう時間の中で生まれ、育ち、老いて終わる人の一生は大いなる者の一瞬の夢なのかもしれないのである。
 さて、この句は枇杷の花だけが具体的なものであって遠い町以下はぼんやりとして抽象的である。具象表現を第一に標榜する句形とは一線を異にするものである。物であれ事であれ基本的に表現に使えない言葉があるわけではない。芭蕉曰く切れ字に使えない言葉があるわけではなく切る意識があるかどうかであると。言えば主観的表現か客観的表現かの選択は個々の句の内容に帰するのである。句は遠い町から枇杷の花がやって来たと解釈してもいいのである。




 雁渡し仏足石に魚の絵       宮下 久美子
                           
  仏足石の起源はインドの古い時代である。インド仏教では像を作る習慣がなかったため仏足石や菩提樹で釈迦やブッダを表現したようである。衆生を救うため指と指の間に水かきのような網があったとされることから仏足石では魚を描くことによって網を表現したようである。
 仏足石などなかなか注意深く見ないものである。魚を見つけたのは意外な喜びであったであろう。彼岸を思えば雁渡しも当然のこととして受け入れたと思われる。

 

 マシン油の微かな匂い夜学生     佐藤 勝 
                      
 昭和三十年代の神戸では中学を出て就職する生徒は極少数であったが地方からの就職はかなりの数に上っていたようである。ニュース映画などでは集団就職のことがよく放映されていたのを思い出す。大会社などでは定時制高校に通わせることも条件の一つであったように思う。
 工場の一員として働きながら学校に通えばいくら入浴してきたと言っても機械油の匂いはしたものであろう。
 懐かしい昔の社会の一端である。夜学の灯を見ながらそんな思いになったのである。


 山深き大和の国の神渡し     柳楽 八洲子
                         
 大和の山と言えば修験者修行の大峰山脈である。最高峰は千八百メートル足らずの山上ヶ岳である。大峰入りは熊野側から入る道と吉野側から入る道がある。
 大和は北も東も南も山国である。特に吉野から南は山が深い。神渡しの風が吹き出せは一気に冬の気配が濃いであろうと思う。一層山深い感がするのである。



 絹の道砂丘の低き月赤し       黒木 めい子    
        
 シルクロードである。砂漠の月が赤いと言われれば平山郁夫の絵画を思う。仏教伝来の淵源を求め、さらに東西文明交流の跡を訪ねて中国、インドを旅して一連の作品群を残している。歴史に心惹かれた人である。


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