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摩耶だより(各集巻頭句) 
2017年月号      岡部 榮一 

 辣韮を洗いまくって友達に     進藤 三千代

 
 愉快な句である。辣韭が沢山あるから次から次へ洗って友達に進呈したということではない。毎年の事として辣韭が出回る頃に家族用の辣韭を甘酢に漬けるのであろう。辣韭の甘酢漬けはカレーに良し、ビールに良しと好む人が多いように思う。ちょっとした箸休めである。
 さて今年も辣韭を買ったのである。辣韭を漬けるのも新鮮さが大事である。さっそく水洗いして泥を落とし皮をむいて茎切り、根切りをして形を整え塩漬けにするのである。その前に先ずは水洗いで泥を落とすのである。
 泥落しの洗いから仕上げの洗いまで丁寧に洗って白くなった辣韭に親しみを覚えたのである。洗いまくっては少しオーバーであるが、そのオーバーな言い回しが友達になったとおもう心情を納得させるようである。




 うぶすなの川を白靴流れゆく     木村 オサム
                           
  産土に対する作者の夏のイメージである。ちなみに作者は神戸生まれの神戸育ちである。産土と呼ぶにはあまりにも洗練されすぎている都会である。一般的な産土のイメージはもっと鄙びている野山や海の景色である。
白靴はかっての少年のイメージである。現在の少年の服飾や靴はカラフルで種類も多く好みのシャツや靴を選ぶことができる。多種多様な生活の中であらゆる物が溢れる洪水の氾濫の中で掴みどころなく溺れそうである。一時代前の足らずの時代にふと郷愁を覚えたのである。背景には「磧にて白桃むけば水過ぎゆく・・森澄雄」があるようだ。

 

 打水のをはりは足を流しけり       鈴木 あきを 
                      
 庭や道に水を撒くと不思議と足が濡れたり土が跳ねたりして足が汚れることがある。水を多く撒けば撒くほどそんな状態になることがある。子供の頃は半分遊びで水を撒いたものだから濡れたり汚れたりは当然の事であった。夏の夕方の水撒きは楽しいものであった。
 さて、けりは過去の助動詞で詠嘆もあるが過去の伝聞の意味もあります。昔もよく水撒きの終わりには足を流したものだという回顧である。




 名ばかりの海辺の駅舎雲の峰       宮本 義之
                         
 島国の国ならではの海辺の近くの駅は随分と多いように思う。鉄道が全盛の時代に必要に応じて作られた駅もその後の車社会になって廃止された路線や駅も多くある。神戸市にも海辺にJR須磨駅がある。普通と快速の乗換駅であり日頃の利用客もおおい。夏には海水客も多く利用する。決して名ばかりの駅ではない。
 さて、句の駅はどこであろうか。名ばかりとなれば小さな木造の駅舎が想像される。網走市の北浜駅、五能線の驫木駅(とどろき)、山陰本線の鎧駅などが思われる。勿論無人駅であるし一日の本数も少ない。雲の峰を見ながらのんびりと旅を楽しんでいるのである。



 バケツより薔薇溢れさすマルシェかな    津川 聖子    
        
 マルシェはフランスの朝の市場である。日本で言えば観光地などの朝市のようなものですがマルシェは毎日街の決められた場所に野菜や肉や魚や果物や花などの生活用品が屋台で売られる。青空のものもあれば屋内のものもあるようだ。もちろん地産の物や手作りの物を販売することが多いようだ。生活に欠かせない市場だ。
 さて、掲句は花屋に焦点をあてている。フランス人をはじめヨーロッパの人々は花のある暮らしが日常的で特にバラの花が好みのようだ。色とりどりの薔薇を専用のバケツに投げ入れて打っているのだろう。
 掲句は旅吟の句である。海外も気楽に行けるようになった。このような句が多く出てくるのも当然のような気がする。それだけに季感が問題になりそうであるが。


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